7月5日『Tanaka4プライベートレッスン』参加者向け プレゼントQuiz

プレゼントQuiz

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まとめQuiz

各項目について、ざっくりと語ってください。

建武の新政
1333年に新田義貞らが鎌倉幕府をほろぼした。鎌倉幕府がほろんだあと、後醍醐天皇は、天皇中心の政治をおこなった。これを建武の新政という。 また、公家重視の政策であったため、武士は不満を持った。 そして、新政をほろぼそうと足利尊氏が武士の復権をかかげて兵をあげた。その結果、1336年に尊氏の軍が後醍醐天皇の軍に勝ち、建武の新政はわずか2年半ほどで幕を閉じた。
室町幕府のはじまり
後醍醐天皇との争いに勝った足利尊氏が、1336年に京都にあらたに天皇をたてました。 それが光明(こうみょう)天皇です。 こうして京都に北朝が出来ました。 敗れた後醍醐天皇は、奈良の吉野に逃れました。 後醍醐天皇の吉野側の朝廷を南朝といいます。 尊氏は1338年に北朝の光明天皇から征夷大将軍に任命され、 足利尊氏が室町幕府を開きました。
南北朝の統一
南北朝の対立は、北朝に有利に進み、3代将軍の足利義満のころには、南朝はほとんど勢力を失っていました。 そして、1392年に足利義満が南朝へ北朝に合一するように呼びかけて、南北朝を統一しました。
応仁の乱
8代将軍 足利義政の時代に、跡継ぎの座をめぐり、争いになる。 そして、京都を戦場とする戦いが1467年に起きた。 この戦乱を 応仁の乱という。 この戦いは11年もの長期戦となり、京都の町は焼け野原となった。
戦国時代のはじまり
室町時代の後半は、応仁の乱がきっかけで、領土獲得のための争いが各地に広がり、戦国時代へと突入した。 また、日本の各地で守護大名の家臣が、守護大名の言うことを聞かなくなり、守護大名が領国を奪われるようになった。 下の者が上の者を圧倒する「下克上」の始まりである。 また、戦国時代の大名を戦国大名といい、戦国大名の多くは、下克上によって、大名に成り上がった者たちである。
室町時代の滅亡
1568年、織田信長足利義昭を連れて京都に入り、義昭を15代将軍につけた。 ところが義昭は将軍にはなったものの、何も権力を持てなかったため、信長に不満を持つようになった。 1573年に信長義昭を京都から追放し、これにより、室町幕府が滅亡した。
安土・桃山時代のはじまり
1573年に織田信長が15代将軍足利義昭を京都から追い出してから、豊臣秀吉の天下統一を経て、徳川家康が江戸幕府を開いた1603年までの、およそ30年間を指すのが一般的である。安土・桃山時代をひと言で表すと、「織田信長と豊臣秀吉が中央政権を握った時代」といえる。
秀吉の天下統一
1590年、秀吉に従わなかった小田原の北条氏や、東北の大名をしたがわさせて、天下統一をなしとげた。 これにより、戦国時代は幕を閉じた。

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